5/3 海の窓辺に水を掬う掌から零れ落ちるそれはなに

食事に凝り始めてから幾数日。

消費ではなく浪費を、をスローガンに始めたこの生活。

日々の小さな幸せと言ってしまうとみみっちいけど、

比較的いい方向に進んでるんじゃないかと思ってます。

 

今日は焼き肉の気分だったので、冷蔵庫に保存しておいた焼き肉用牛肉を

引っ張り出して食べる。

焼き肉のタレが残り少なくなっていたおかげもあって、

うまみが凝縮されたたれと肉のおかげでいい感じに仕上がりました。

玉ねぎを一つ丸々使ったのだけれど、新玉ねぎを使ったせいか、甘みが程よく広がっておいしい。

腐りやすいから避けてきたわけですけど、食事のメニューによってはこっちの方があう場合があるからこれから場合分けで使っていきたい所存です。

 

数日前に買ったぶなしめじからカビが果ていて、数日前にもしやと思っていた、ほこりつき?(と思っていた)ご飯が実は、やはりカビだったらしく、

あったかくなってきたので腐りやすくなってるみたいです。

腐らせてしまっては意味がないし、何よりもったいない、経済的な損失にもつながるので、材料は使い切り、食べきるようにしてから次の食に移っていきたい。

その辺は毎日の食欲との兼ね合いなので、この生活スタイルを始めたばかりのところ、難しいところではあるのですがこれから探っていきたいです。

 

生命とは何か、読み始め。

生命の本質とは、というのが最近のテーマで、

たとえば人生とは何か、みたいな人間固有のテーゼではなくバクテリアから人間のような高度に複雑化した有機体まで幅広くカバーする汎用性の高いテーマであって、

様々な問いに答える上での、基礎となる提示なので、「まずはここから」の第一段階、というところです。

とはいえ率直に生物学は得意ではないし興味も薄いのがつらいところではありますが、比較的早いペースで、すでに半分以上読み進めているところですが、気になる点を一つ。

本書で取り上げている生物の本質には、情報の保存と情報の改革、この二つが掲示されていますが、

それを実現するプロセスとして、DNAそれ自身の複製システムを確立するという説明が加えられていますが、ゲノム数の多きい複雑な生命体ほど複製のエラー確率が低い、あたかも選択的にそのような仕組みを採用している説明がありましたが、

そこには、僕は何やら人間でいうところの意思のようなものが介在しているような気がしていて、しかしてその意思とはどのように生じたのか、という大きな疑問が生じているところです。

読み進めた先に答えがあるのか、注目しつつ読み進めたい。

 

寺山修二:僕は海が欲しい;海を手に入れたい

外食が楽しみである。

私は普段外食はしない。

 

いちいち外で食事をしていたのでは財布が持たないし、何より店を選ぶのが面倒である。

 

外食時のアプローチは二つある。

つまりシンプルに何を食べたいか、あるいはどこで食べたいかである。

前者に関しては食そのものの欲求が先行している例であるから、迷うことはないだろう。

「あア、今日はカツ丼が食いたいなア」とか思う欲求に対して素直になればいいだけである。

そうなると次は店を探すことになるわけだが、どうもこの店選びが面倒だ。

 

まさか 「カツ丼 地名 うまい」 あるいは 「カツ丼 おすすめ」などとググッているのではあるまい。

そうだとすれば該当した店をいちいち開いてみて、

この店はうまそうだの値段が高いだの店の場所が遠いだのいろいろと迷うことになる。

 

実にばかばかしい。時間の浪費もいいところだ。

 

なら自分が過去に行ったことのある店に行こうとなるが、そうなるともう味の予想なんかはできている。

 

まあその店がだ大好きで暇さえあれば足しげく通うなんてことは素敵だとは思うがそのような選び方をしている人はごく一部であろう。

 

私は断然後者の店から選ぶ派の人間である。

そうはいってももちろんホットペッパーなんかは使わない。

 

自分が実際に歩いていて見つけた店などに入ってみるわけである。

 

その時の立ち振る舞いが重要だ。

 

間違っても「あー今日はここにしようかなーどうしようかなー」などと迷わないことである。

 

迷う程度ならその程度の魅力しか感じていないのだからそんな行動をとるべきではない。

迷わず行きたくなるような店やら場所やらなんでもいいが、ただひたすらに探してみることである。

 

楽しいことで埋め尽くし楽しくないことを徹底的に排除していくのが人生だ。

 

そんなわけで私にはいきたくてたまらないみせがいくつもある。

 

普段いかない分だけ楽しみは大きいのである。